こんにちは。唐辛子の伝道師・伊藤です。
突然ではありますが、唐辛子はどことなく船に似た形をしています。半月状の姿はまるで竜骨を携えた船腹を想起させ、実から伸びる「へた」の部分は、勇壮な船首を連想……しませんね。沈んでしまいそうです。
何はともあれ「船と言えば海!」というわけで、いささか無理やりではありますが、今回は海を渡って日本にやってきた、唐辛子の歴史に焦点を当ててみましょう。
唐辛子の起源は約1万年前!
唐辛子の原産地は、南アメリカの熱帯地域。何と紀元前7,000年~8,000年ごろにはペルーやメキシコなどで栽培されていたそうです。日本の歴史で言うと縄文時代の真ん中くらいでしょうか。気が遠くなるくらい昔から、異国の地では唐辛子文化が根付いていたんですね。
地球の裏側から日本に伝わった唐辛子は、一体どのような経路を辿ったのでしょうか? その道程には、教科書にも登場する偉人が大きく関わっていました。
唐辛子を広めた立役者はコロンブス
唐辛子の世界的な普及の礎となったのは、「コロンブスの卵」で広く知られるクリストファー・コロンブス。「アメリカ大陸を発見した人」と学校で教わった人も多いかもしれませんが、どうやらこれは、史実に反するとの見方が一般的なようです。
そもそも彼が船旅をしたのは、マルコ・ポーロの書物からインドや中国、日本(ジパング)に高い関心を抱いていたことと、香辛料が欲しかったから。なぜ香辛料を求めたのかと言えば、高く売れるためです。
大航海時代と呼ばれた当時は、コショウやナツメグ、シナモンやグローブなどの香辛料が高値で売買されていました。特にコショウの価値は高く、金と同等の額で取り引きされていたと言われるほどです。後の世に名を残した偉人が、「よし!大儲けしてやろう!」と考えたかどうかは分かりませんが、何はともあれ、コロンブスは大海原に帆を上げることになりました。
コロンブスが生きた時代、コショウなどの香辛料はインドかインドネシアで採ることができました。そんなわけで、彼はインドを目指して出航します。そして辿り着いたのは、西インド諸島に数えられる島「サン・サルバドル島」。
「?」
そう思った方は、きっと地理に明るい方でしょう。サン・サルバドル島はカリブ海に浮かぶ島で、バハマの東、キューバの北に位置します。「西インド諸島」という名前が紛らわしい限りですが、この島は要するに「アメリカの近く」です。
ポルトガルが東へ進む航路でインド到達を確立させていた当時、「地球は丸いから西に進んでもインドに着くぞ!」という考えから、コロンブスは西へ西へと船を進めました。んで、辿り着いたサン・サルバドル島を「インドだ!」と勘違いしというわけ。
インドに行こうとしたら、アメリカに着いちゃったんですね。コロンブス!ドンマイです!
ちなみに、現在でもカリブ海一帯の島々が「西インド諸島」と呼ばれているのは、コロンブスがサン・サルバドル島に上陸したときに「ここはインドだ!」と言ったからだとか。彼の地の先住民を「インディアン(インディオ)」と呼ぶのも同じ理由で、彼の勘違いが元。そろそろ訂正してもいいようなものですが…。
唐辛子が日本に伝わった経緯は?
1492年にサン・サルバドル島に到達したコロンブスは、近隣諸島を巡って唐辛子と出会います。ここでも彼はちょっとした勘違い。唐辛子をコショウの仲間だと思ってしまったようです。唐辛子の英語名は「Red pepper」ですが、コショウを表す「Pepper」が名称の一部になっているのはそのためです。
翌1493年にコロンブスが持ち帰った唐辛子は、香辛料の需要の高さからか、すぐにヨーロッパ広域に広がります。その後日本に伝達された経緯については諸説あるので、いくつかご紹介しましょう。
1.南蛮渡来船説
ポルトガル人が種子島に鉄砲を伝えた「鉄砲伝来」。その折に、同時に持ち込まれたとされる説です。1543年に起きた出来事で、場所は九州ということになりますね。
2.ポルトガル人宣教師説
キリスト教を日本に広めるために来日した宣教師のひとりに、「バイタザール・ガコ」という人がいます。彼が、豊後国(現大分県)の大名である大友義鎮に、唐辛子の種を献上したという説。西暦でいえば1552年ごろの話になります。
3.豊臣秀吉朝鮮出兵説
16世紀の終わりに豊臣秀吉が起こした朝鮮出兵。天下統一では飽き足らず、海の向こうも手中に入れようとしたとされる事件ですね。この折に、加藤清正が日本に唐辛子を持ち帰ったという説があります。
その他にも、逆に朝鮮から伝わったとされる説などが入り乱れ、渡来の真相は定かではありません。有力な説としては、15世紀から16世紀あたりでしょうか。日本の元号でいえば、戦国時代から安土桃山時代ということになりそうですね。
日本に伝わってからの唐辛子
戦国時代から安土桃山時代、江戸時代の初期にかけて、唐辛子は日本国内へ普及の一途を辿ります。食用としての用途はむしろ近代にかけての話で、唐辛子が入国した当初は、その辛みから毒として扱われたり、足袋に入れて霜焼け予防として使われたりしたという話もあります。
どんぶらこと海を渡り、宗教や戦争や、さまざまな時代の波に揉まれて、唐辛子は香辛料として確固たる地位を確立します。その需要と存在感は、他の香辛料の追随を許さないと言っても差し支えなく、私のように心から唐辛子に魅了される人間をこしらえるまでになっています。
正確な経緯は分からないけれど、一翼を担ってくれた先人たちに感謝です!